南米パラグアイ、移住者の雑記

南米のパラグアイに移住した日本人の、日々の記録です。

シュメール文明の、その前

https://www.youtube.com/watch?v=Snu3ByyFCQg
「日本の歴史は全て暗号化されていた…ついに暴かれる真実の古代史が想像を絶するレベルでヤバかった」

 

シュメール人メソポタミアの地にやってくる、その前の話。

 

シュメール文明は紀元前4500年頃から始まったとされる。
世界四大文明の一つであるメソポタミア文明の初期を指す。
イラク南部辺りで栄えた。

川や地下から水を引く灌漑設備を使って農業をしたり、
独自の文字を使っていたり、
非常に発達した天文学建築学などを持っていた。

 

世界最古の文明と言われるシュメール文明だが、
実はそれよりさらに前から、文明の基礎は築かれていた。

 

まだシュメール人メソポタミアの地に来る前、
最初期はウバイド期と呼ばれ、紀元前6500年頃から広がり始め、
紀元前4000~3500年頃から始まるウルク期へと続いていく。
灌漑農業は既にこの頃から行われていた。

 

ウバイド族は、寒冷化に伴ってシベリアから南下してきた人々と、
もともとメソポタミアにいた人々が混血して生まれたとされる。

 

シベリアからの人々は、アララト山を越えたあたりでは
アナトリア文明を築いたと言われている。
紀元前7000年頃に栄えた文明だが、この頃すでに、
チグリス川・ユーフラテス川を利用して黒曜石の交易が行われていた。
(……あれ?こっちが世界最古?)

 

ウバイド期後半、紀元前5000~4000年頃にかけて、
都市化が進んでいった。
大きな集落ができ、神殿など公的な施設も作られた。

 

続くウルク期には、ウルクを中心に人口数万人を抱える
本格的な都市が現れ始める。
この頃の文明がメソポタミア全域に広がり、
ウルク後期には粘土板を使った記録システムが使われ始めた。
→世界最古の、文字による記録。ウルク古拙文字が誕生。

 

ここまでのウバイド期と、これ以降のシュメール文明には、
重大な断絶性は見られない。
つまり、新文明が旧文明を滅ぼしたとかではなく、
残すものは残しつつ、緩やかに交わりながら移行していった。

 

シュメール人は突然現れ(たように見え)、
ウバイド文明で培われた都市群をブーストするかのように、
急速に高度な文明を発展させていった。

 

ウバイド族の祖先の一つである、シベリアからの人々。
彼らが南下する前に育てていたシベリアキャベツの化石が、
日本の中川代遺跡から発見されている。
縄文時代の遺跡で、中国製の石斧も見つかっているので、
当時の日本(縄文人)が海外と交流していたことは間違いない。

日本とウバイド族に交流があったのか、
あるいは海洋民族を通しての交易だったのか、
いずれにせよ繋がりが見られる。

 

シュメール文明になってからは、
レンガによる道路整備、上下水道整備、運河による水上交通、
神殿や宮殿には宝石による装飾、金で作られた像なども見られた。
納税のシステムもあり、その計算のため数学も発達した。
1年が365日であることや、木星の周期が12年、土星が30年といった
天体の周期も、すでに知られていた。
日食と月食の周期が18年7か月といったことまで知られていた。

 

 

 

……と、こんな高度な文明が紀元前3000年頃、
つまり5000年も前に存在していた、ってすごいですね。